因幡・国府のうつろう流れ 殿ダム・袋川流域風土記

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雨滝街道


雨滝街道

鳥取城下から立川、宮下、谷、殿、拾石、木原、雨滝を経て十王峠を越え、但馬や岩井へと通じる街道であり、街道沿いには藩政期に設けられた道標やその後の道路改修の記念碑が建立されています。この道は法美往来“たじま道”“岩井往来”とも呼ばれ、部分的には“雨滝道”や“国府道”とも呼称されましたが、明治期に鳥取・雨滝間の路線改修が決定し“雨滝街道”と名付けられました。
起点は国府口(江崎口惣門)といわれ、6つの一里塚が築造されていました。里塚には松や榎が植えられていることが多いですが、雨滝街道には盛り土をして標石を建てただけのものだったとも考えられています。
一里...宮下。場所は村の下、奥谷村のあたり。
二里...谷村地内、梶原橋のあたり。
三里...殿村地内、中河原境のあたり。
四里...下木原地内、栃本廃寺に近いところ。
五里...十王峠の手前。「塚の元」という小字名が残り、街道より行者山道へ分かれるところ。
六里...場所は不明。洗井集落の内と思われている。

また、街道沿いには古代・中世の突出した遺跡が多く分布し、“古墳文化の道”“仏教文化の道”として、中世においては“修験道の道”、近世になると鳥取城下への年貢や御用炭、熊ノ胆の運搬など鳥取藩の“法美郡統治のための道”のほか、“修験廻国行者の道”として多く利用されてきました。