十王峠への道は急坂で道幅も狭かったため、明治期に県道として約4mの道が洗井を通り、蒲生峠まで通じました。昔の峠は現在の峠の手前を左に入った所にあり、急な坂を下って銀山村に至ります。峠の手前で道は二つに分かれますが、左側に松の古木があり、根元に像高42cm、台座を含めた総高が72cmの地蔵尊がありました。難工事の十王峠の切割が完成したところ、峠の少し手前の地蔵尊が古い峠に淋しく取り残されていたので、新しい道路ができた数年後に現在の所に安置されました。一本松は、二本植えられていたところ、小さいときに一本を切れらてしまったということです。 |