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輝元の後に入城した福島正則は西国街道(山陽道)を城下に引き入れ、開かれた町づくりを進めました。多くの商人や旅人がこの道を通って広島城下町へと集まるようになり、主要街道に沿って多くの店が立ち並び、町人町が形成されていきました。
さらに参勤交代が始まった17世紀以降、浅野氏の手によって、道幅の統一や一里塚、街道松など道路網が整備され、各地からさまざまな物が運ばれるようになり、人の往来も頻繁になり、広島は経済的に大きな発展を遂げていくことになります。 |
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