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広島道物語
一般国道54号
毛利氏の広島進出の道
山陰と山陽を結ぶ幹線道路・一般国道54号は、近世に広島と出雲(松江)を結んでいた出雲街道を基本的なルートとしています。
出雲街道(出雲路)は、広島と浜田を結ぶ石見街道(石州路)と並んで、西国街道に次ぐ重要路でした。特に広島から可部・吉田・三次までの道は三次往還とも呼ばれ、吉田を本拠地とした毛利氏の広島進出の道でもありました。
16世紀末に広島城が築かれ、城下町が栄えてくると、年貢や産物を運ぶための道路の整備が必要となりました。城を築いた毛利輝元は、広島と吉田を結ぶ中筋往還や可部街道の整備に力を入れましたが、広島から可部、三次、出雲を結ぶ出雲街道が本格的に整備・開通されたのは慶長年間(1596年〜1615年)で、次の福島正則の時代です。
さらに、その後の浅野氏の時代になると、寛永10年(1633年)の幕府巡見使の巡察を契機に、道路整備は一気に進みます。出雲街道はこのとき道幅が7尺(約2.1メートル)と定められ、西国街道に準じた宿駅施設や一里塚などが設けられました。
可部(安佐北区可部町)は、出雲街道、石見街道、さらに可部と庄原を結ぶ庄原往還の3つの道の分岐点。宿場町として、物資の中継基地として栄えていましたが、可部より先は山が多く通行が困難な険しい道でした。出雲街道と石見街道の分かれ道に立ち、行き来する人が旅の安全を祈り、無事を感謝したといわれる「しるべ石」が、今も一般国道54号脇に立っています。
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