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広島道物語
一般国道2号
海へ海へと広がった広島
天正19年(1591年)、毛利輝元が広島城を築城し、吉田から本拠地を移して以来、広島は城下町として発達しました。輝元の町づくりは、城下全体の町割(区画割り)を行った計画的なもので、その巧みさは時の太閤豊臣秀吉をもうならせたと伝えられています。
輝元の後の福島正則は、それをさらに発展させ、西国街道が町屋敷を貫通するように城下に引き入れ、橋を架け、宿駅制度の整備にも力を注ぎました。また、デルタを埋め立てて多くの新開地の干拓を進め、江波や草津の港を整備し、広島の町づくりの基礎を固めています。
広島の市街地はこの後も、遠浅の海である広島湾を干拓し、南進することで拡大していきます。在来の地名の下に「沖」「新開」「開」が付く地名が多かったことでも、それが分かります。
広島はその後、芸州浅野藩42万6,000石の城下町として、また、中・四国地方における交通・経済の要衝としてさらに発展し、江戸時代後期には人口が6万人を突破し、瀬戸内海最大の都市になっています。今残っている広島市内の鉄砲町、八丁堀、薬研堀などの地名は城下町の名残です。
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