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広島道物語
一般国道185号
沿岸の港町を東西に結ぶ
江戸時代、広島藩の領国内の道には、基幹道である西国街道、それに次ぐ脇街道の出雲・石見の両街道、村と村を結ぶ小往還などがありました。しかし、広島県の中南部の瀬戸内海沿いの交通はもっぱら穏やかな内海を利用した海路が中心で、陸路は沿岸各地を東西に結ぶ街道と呼ばれるほどの道はなく、険しい峠越えをしなければならない"里道"程度のものでした。沿岸部で、三津村(現在の安芸津町)から呉を通って海岸沿いに海田に至り、広島城下へとつながる小往還がありましたが、このルートは悪天候などの都合で海路から陸路に変更する場合などに利用されていた模様です。
現在の一般国道185号は、呉市を起点に瀬戸内海に沿って三原市で一般国道2号に接続するルート。
沿線には、年貢米集積地であり安芸国府の外港・安芸津、塩田と海運で栄えた三次藩の外港・竹原、軍港の町・呉などがあり、漁港としてはもちろん、政治・産業・国防の港町として古くから繁栄してきた地域です。しかし、周辺地域への陸路は西国街道と接続する南北の交通が主でした。
一般国道185号に相当する東西の沿岸ルートが整備され始めたのは、明治の後半から。明治22年(1889年)に呉鎮守府が開設され、また、明治32年(1899年)に竹原市の忠海町に芸予砲兵場が設置されるなど、軍事上の必要がきっかけとなりました。
下の地図の
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