因幡・国府のうつろう流れ 殿ダム・袋川流域風土記

殿ダム・袋川流域風土記
HOME >> 袋川流域 水の流れのメッセージ

千代川


@千代川

千代川は、岡山県境に近い智頭町駒帰の東方沖ノ山(1318.8m)を源流とし県東部を北流する、流域面積1,190?、幹川流路延長52kmの一級河川です。智頭町・鳥取市用瀬町・鳥取市河原町を貫流し、土師川・佐治川・曳田川・八東川・野坂川・袋川を合流して賀露港に注いでいます。鳥取市円通寺で鳥取平野に達し、平野では自然流として幾度も流路を変えて来た暴れ川でした。昭和2年には八千代橋から賀露港まで河道をつけかえ、堤防が完備されました。


A千代川の流れと鳥取平野

千代川は中国山地の山々の肌をけずり取り、谷を刻み、運んだ土砂を河口近くにためて、鳥取平野という沖積平野を生成していきました。
山間の谷筋を流れ下ってきた千代川は、鳥取平野で縦横にその流れを変えて上流から下流へと土砂を運びながら、その流れを洪水のたびごとに変化させてきました。底湿の沖積平野のほとんどの場所は人の生活できる場所ではなく、原始のままに川筋を変え、氾濫する千代川の沖積地は、アシの生い茂る湿原であったと考えられています。
こうした低湿地が水田に開拓されて整えられていくのは、16世紀(江戸時代初期)以降になります。それらの開拓と治水の歴史は、現在でも千代川の川筋に追うことができます。


B千代川の名称由来

千代川の名称は「大川」と親しまれていますが、戦国時代末期から江戸時代初期には「仙大川」(寛永22年『山県長茂覚書』吉川家文書)、『陰徳太平記』には「千谷川」と記され、一国数郡の谷々の流れがみなこの川に流れかわることから付けられた名で「せんたに」と唱えるのを文字に受けて「せんだい」と書かれたという説や、地元民が「せむだい」とよんだことから「千代」の字があてられるようになったという説があり、その他にも「泉台」や「千体」といった説があります。


C「千体」にまつわる伝説

弘法大師が上流の山にある千の谷に一体ずつ仏像を安置しようと千躰の仏像を刻んでいたところ、999谷しかなかったために、仏像を全て川に流したという伝説や、三面鬼という山賊を退治の際に、薬師如来の像を千体に刻んで成敗の成就を祈願し、願いが叶ったという伝説があります。