明治35年西伯郡御来屋に生まれ、国府町谷の岡田家へ嫁いできました。早くから文学に志し、国府町の人や自然を愛して繊細な詩や戯曲、小説などの多くの作品を書き上げました。終戦後は『女人文芸』を創刊し、鳥取文壇の中心となって活躍しました。「こだまして...」の歌碑は元岡田医院の前庭に建立されています。
また、通寺にある志賀直哉文学碑「妙」の右側面に、志賀直哉に同行して詠んだ歌が刻まれています。
志賀直哉は、明治16年宮城県石巻市に生まれ、学習院時代からの友人・武者小路実篤らとともに文芸雑誌『白樺』を創刊しました。唯一の長編小説『暗夜行路』には、因伯大山頂上からの展望描写や、大山寺風物の鮮明な写生文などが書かれています。昭和31年10月に鳥取を訪れ、この地に激賞して「妙」の色紙を書き残しました。また、川上貞夫氏の案内で岡田美子とともに岡益の石堂を見学し、長い黙想の上「――格調が高いね」と一言洩らしたといわれています。
こだまして 何やらたのし 冬の空
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