姫路藩42万石を領する姫路藩主・池田利隆の嫡男として慶長14年(1609)岡山城に生まれました。元和2年(1616)利隆の死により8歳で姫路藩主となりましたが、翌年3月、播磨は中国の要地と幼少を理由に因幡・伯耆両国32万石へ転封となり、元和3年(1617)から寛永9年(1632)までの16年間在城しました。光政が初めて鳥取城に入ったのは翌4年3月の10歳の時で、寛永9年に岡山へ転封するまで7回帰国しています。江戸時代初期の名君として名高い人でもありますが、この時期の藩政は家老を中心に執行されており、多くの治績をあげたのは岡山城主時代といわれています。お国替えで鳥取城主となった従弟・池田光仲の後見的存在でもありました。 |