曲輪内(城郭内)より町屋街に出入りする門のことです。池田長吉は若桜町惣門から柳倉に至るまで築いた堤の内側に町人を住まわせました。藩士は城内に住居を建て、鹿野口、智頭口、若桜口など九つの門を設けて外部との連絡通路としました。左右に塀のある屋根門で、大戸の脇に小さい潜り戸の通路を備え、内に番小屋が設けられていましたが、平時は開放されていました。この九門の内側を「惣門内」ともいいます。
池田長吉により築かれた土手には柳が植えられ、「柳土手」と呼ばれるようになりました。
池田光政により築かれた土手には竹が植えられました。明治に入ってから竹藪が刈られ、桜が植えられました。