因幡・国府のうつろう流れ 殿ダム・袋川流域風土記

殿ダム・袋川流域風土記
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民話・伝説 4



31、桂蔵坊キツネの伝説<中坂神社>

久松山にはキツネが多く住み、桂蔵坊の一家も城が天神山から移ってくる前からここに住んでいました。山の様子を知り尽くし、足も速く、江戸まで3日3晩で往復できたので、殿様の急ぎの用事や秘密の便りを運ぶのは桂蔵坊の役目でした。ある日、播磨国の三日月村辺りを通りかかると焼きネズミをエサにキツネとりの罠が仕掛けられており、帰り道に桂蔵坊はついに我慢ができずに罠にかかってしまいました。


32、蟹の恩返し<久松山麓の城下>

池田藩主の頃の城下町に大きな分限者の屋敷があり、泉水池には久松山の麓からの水が引かれ、毎朝その家の娘が仏様に供えたご飯をエサとして池に投げ込み、たくさんの赤蟹子(沢蟹)を飼育していました。ある日、久松山に棲息していたオスの大蛇が若い男に化身して求婚し、娘を隠した泉水池上の松の木に吊された櫃めがけてスルスルと上り始めたところ、泉水池の中の赤蟹子たちが一斉に両方の蟹鋏を突き上げて大蛇を撃退し、娘を助けました。


33、犬橋の伝説<浜坂犬塚>

摩尼川が袋川に合流する浜坂村は但馬へ向かう人や旅人の往来が多く、摩尼川に架かっている丸太の一本橋を渡るのに難渋している様子をみて、村のある男がこの丸太橋を渡り易いものにしようと考えました。犬に竹筒を下げて毎日橋のたもとに通い、犬の愛らしさに往来者は少しずつ募金をしてくれました。こうして男が名付けた「犬橋」が完成し、その後、犬は橋の近くに葬られ、現代移転はしましたが「犬塚」は今でも顕彰されています。


34、鶴の恩返 し伝説<江津>

ある年の大晦日、江津の老人が米を買いに出掛けたところ、子どもたちが鶴をいじめていました。老人は持っていたお金と交換して鶴を逃がしてやると、夜になって若い娘が訪ねてきました。娘は食事の支度をしてくれ、老人の取ってきた千年カズラを糸にしてきれいな布を一反織り上げました。その後、布を売るために娘が城下町へ行ったきり戻ってこないことを心配していると、箱膳の上に鶴の羽3本とお金がたくさん置いてありました。


35、鯉の恩返し伝説<千代川河口付近>

千代川の河口に近いある村に、一人の貧しい若者が住んでいました。若者はなけなしのお金を出して子どもたちがいじめていた鯉を買い取りました。数日後、若い女の人が訪ねてきてそのうちお嫁になりました。決して台所は覗かないという約束を破って盗み見ると、一匹の鯉が尾ひれを動かしながら米をといでおり、夕食が出来上がった後、鯉の化身だった嫁は出て行ってしまいました。


36、饅頭を食った河童伝説<千代川の河童>

江津村のある家で妻が亡くなり、後妻をもらいました。先妻には男の子が一人おり、後妻はその子が憎くてたまりませんでした。6月15日の危日を逆に使えば良いと考えた後妻は、かま焼き饅頭を竹の皮に包んで、継子に持たせて川に行かせました。男の子が川縁にいると河童があらわれて相撲を取って遊び、一番大きな鍋焼きの饅頭を食べた途端に血を吐いて死んでしまいました。これを見た男の子は急いで家に帰り、元気な姿で戻ってきたので継母は荷物を纏めて家を出て行きました。


37、河童のタタリ伝説<千代川の河童>

鳥取城下から少し離れた所に、嘉平という田舎相撲の相撲取りがいました。息子の正吉は親ゆずりの豪胆で力持ちの少年でした。千代川で泳いでいた正吉が何かに足をひっかかれたある夏の日の夜、なぜか川へ行って泳ぐと河童に出合いました。正吉と河童の川太郎は相撲をとり、正吉は次々と現れる河童達を岩へぶん投げました。父の嘉平は夜中に正吉がいないことに気がつき、川端で正気を失って一人で相撲をとっている正吉を見つけました。正吉は摩尼寺の住職の祈祷によって、死んだ河童を懇ろに弔い、加持祈祷を続けることを約束して、この河童のタタリから逃れられました


38、古市の河童伝説<千代川の河童>

鳥取城下での用件を終えて今町から富安を経て古市の近くまで戻ってる途中に呼び止められ、タルと手紙を国安の問屋の主人に手渡してほしいと頼まれました。気になって中を見てみると、タルの中には人間の尻っ子がいっぱい詰め込まれていて、この男の尻っ子を抜くと千尻っ子になるところでした。男はあの老人が古市の河童だったと気づき悔しがりましたが、後の祭りでした。


39、河童の智恵伝説<千代川の河童>

吉成一帯にはたくさんのよどんだ淵が点在し、河童の棲家となっていました。馬を引っ張り込んで尻子を抜いていた河童は近くの村に住む佐兵衛の駿馬に負け、宝物の光る玉を取られてしまいました。一年後に佐兵衛に男の子が産まれ、光る玉が入った箱を背負うと歩けるような気がすると言われた夫婦が箱を背負わせると、男の子は歩き始めて千代川の淵に飛びこみ、玉を取り返したという笑い声が川の中から聞こえてきました。


40、酒好き市助の伝説<千代川の河童>

千代川に近いある村に住んでいた市助のただ一つの楽しみは、チビリチビリとお酒を飲むことでした。市助が夏の夜釣りに出掛けた時に酔いが回って寝込んでしまうと、河童がお酒を飲んでしまいました。それ以来、お詫びに市助が川魚をビクに入れると、続けて河童が何匹もビクに投げ込んでくれ、川漁に出ると必ず大漁になりました。市助も川漁に出ると先ず川岸にたたずんで徳利のお酒を川の中にたらしてあげました。


41、長者伝説<湖山池>

かつて湖山池は池ではなく、長者所有の田地でした。ある年の田植の時、一日で植え終えることができなかったので、金の団扇を持って夕陽に向かって三度招いたところ、山に入ろうとしていた太陽が3段ほど昇り、無事に田植を終えることができました。次の年も金の団扇で仰いだところ、ついに天罰が下り、田地はたちまち湖水へと変わって跡形もなくなくなってしまいました。


42、亀女房の伝説<浜坂>

浜坂村の甚助が浜湯山の浜辺で流木拾いをしていたとき、誕生したばかりの小亀を海の中へ放してあげたところ、大きな海亀が訪ねてきて甚助を竜神様のもとへ連れて行きました。甚助は竜神様の妹娘を嫁にもらい、浜坂で暮らし始めてから水浴びを覗かないという約束を破ってしまったため、亀だった女房は2人の子どもと小箱を残し、末子を連れて出て行ってしまいました。甚助はさらに約束を破って小箱を開けてしまうと白い煙が立ち上り、屋根や衣服がボロボロになっていました。その後、美しい光が海辺にあらわれた翌日、海岸で遊んでいた2人のこどもの姿が消え、甚助の姿も消えてしまいました。