因幡・国府のうつろう流れ 殿ダム・袋川流域風土記

殿ダム・袋川流域風土記
HOME >> 鳥取城築城と袋川

一回目の鳥取城攻略

天正8年(1580)、姫路城にあった羽柴秀吉は戸倉峠を越え、因幡へ進撃して若桜、用瀬、鹿野の諸城を手中に収めて鳥取城の山名豊国を攻めました。降服すれば因幡一国を与える代わりに、しなければ人質にとった娘をはりつけにすると脅したところ、豊国はあっさり降服したので、秀吉は山陰の深い雪を避けるようにして一旦姫路へ軍を引きました。そして、因幡中の穀物を時価の数倍の値段で買い占めはじめました。

天正8年(1581)9月、山名豊国の追放

毛利氏に背き降服した鳥取城では、間もなく山名豊国の家老の森下道誉、中村春続らによって広島毛利氏につくべく謀反が企てられ、9月に豊国を城外へ追放しました。そして毛利軍の山陰道総大将吉川元春に毛利一族の中からしかるべき人物を鳥取城番として派遣するように要請しました。