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広島道物語
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一般国道2号(東部)
江戸中期の西国街道は重要な幹線ルート
西国街道や脇街道をはじめとする道路網の整備は、浅野時代に飛躍的に進展しました。
それに伴い、はじめもっぱら内海航路を船で行き来していた参勤大名らも西国街道を利用することが多くなっていきます。近世の初頭、西国街道の交通量は内海航路に比べてはるかに少なかったのが、18世紀に入ったころから次第に増え、18世紀半ば以降、西国街道は名実ともに芸備地域の基幹道路としての役割を果たすようになりました。
また、後期には庶民が寺社詣でなどで旅行することも多くなり、旅行者の増加や物の流通の高まりを背景に、宿場町はにぎやかさを増していきます。安芸国分寺跡もあり、古くから安芸国の政治・文化の中心として栄えていた西条(東広島市)も、江戸時代には西国街道の四日市宿が置かれ、宿場町として繁栄しました。今も残っている御茶屋本陣跡にそれがうかがえます。 このように江戸時代に発達してきた西国街道や石州路などを原型として、近代以降は一般国道2号などの交通網、さらに郵便網が整備されてきたのです。
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