古くは「稲羽」と書かれ、『古事記』にも「稲羽の白兎」という記述が見られます。この名は当時の政治の中心地、国府が置かれた法美郡稲羽郷に由来し、国の名を因幡と書くようになっても、郷名はそのまま残りましられています。
また、『因幡誌』では武内宿禰が下向の折、三韓遠征の幡をこの地に祀られたところから稲葉の字を因幡に改めたと伝え、『岩美郡史』では尺山の西南の狭間という所にある5畝歩ほどの半月形をした田地に稲葉大明神が初めて稲苗を植えた由来によりこの田地を古苗代と呼び、古苗代の地が稲葉の国名の起きた由緒の地であるとも伝えています。
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