『因幡誌』などの文献によると、午頭天王を氏神とした高岡神社は、播州廣嶺神社の御分霊を宝殿ヶ平に勧進し、後醍醐天皇の時代に現地に移したとあります。天王社第一の宮でありその周りの7邑はこの神社の神領であって、古い郷村の記録には村名は書かれていませんでした。高岡神社が鎮座したことから後にその名がついたと考えられているほか、『高岡社考』では、高岡の地名は法美郡の中心部から遠望すると雄大な高い丘(岡)の形をしていることから、宝殿の高い岡の地形が転じて村名になったとし、宝殿と高岡は表裏一体、敬神と景観が一つになった村名であると考察されています。 |