因幡・国府のうつろう流れ 殿ダム・袋川流域風土記

殿ダム・袋川流域風土記
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京都−鳥取−岡山の一円集


京都−鳥取−岡山の一円集

古代大和国家から律令国家に移行し、中央集権を目指して地方行政区画や国司・郡司による地方行政などが実施されるとともに、地方と中央を結ぶ交通路も整備されました。千代川流域では、大和から山城、丹波、但馬を経て蒲生峠を越えて因幡に入る山陰道と、播磨から美作を経て志戸坂峠、黒尾峠あるいは物見峠を越えて因幡に入る道路が開かれ、重要幹線道路としての役割を担いました。
さらに江戸時代になると、主要な道路は江戸を枢軸として、東海道をはじめ中山道、日光街道、甲州街道、奥州街道の5つの幹線が定められました。慶長8年(1603)に徳川家康は日本橋に橋を架け、翌年にはこの橋を基点とする東海・東山・北陸の三道を幅約9mの規模で改修し、これに伴い全国の諸街道や往来も順次整備されていきました。
鳥取では池田長吉が城郭を広げ袋川を付け替えて柳堤を築き、そこに設けた9つの惣門が城外に通じる街道のはしりとなり、元和4年(1618)に入府した池田光政によって付け替えられた袋川には、上流から一本橋、若桜橋、智頭橋、鹿野橋、鋳物師橋、出合橋の六橋が架けられ、城下町を中心に各方面へ向かう街道が整備されていきました。