因幡・国府のうつろう流れ 殿ダム・袋川流域風土記

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街道の道しるべ 1

藩政時代の街道は人の往来が少なく草むらや山間地を通ったので、道の分岐点では迷うことも多く、尋ねようにも人がいなかったため、道の要所には石の道標を建て旅人の便宜をはかっていました。また、小さな山道であっても、道標や地蔵尊を建てて旅の安全を願いました。今日ではその多くが道路改修の際に取り除かれたり土の中に埋れたりしてしまいましたが、いまでも街道を見守る地蔵尊などを横目に歩を進めると、かつての旅人が道標を頼りに名勝旧跡を訪ねたり修験・廻国をしつつ往来した姿が偲ばれます。


大雲院の道標

『鳥府志』によると、大雲院の角には享保年間(1716~36)頃に「左は石井、右は一ノ宮」と刻された河石の道標が建てられていました。明治2年に新しい道標が建立されましたが、道の拡張に伴い現在は大雲院内に保存されています。切石製のこの道標は高さ137cm、幅51cmあり、「右国府 左石井道」「立川三丁目 施工澤屋市左衛門重吉」と銘文があります。


宮下の道標地蔵

かつて袋川に架かっていた旧中郷橋の宮下側のたもとに道標を兼ねた地蔵尊が建っています。総高約150cmの台座部分の正面には「供養塔 万人講 願主 角屋徳兵衛」と刻され、その上に地蔵尊が乗せられています。享和元酉年(1801)に建立され、左側面には「右 きさいち 左 おうかい」と刻まれています。“おうかい”とは大茅(大草)のことであり、街道筋を示します。


宮下の地蔵と七石塔群

宮ノ下小学校から無量光寺に向かう道の右端に「四国八十八箇所八十八巻納経塔」「奉納大乗妙典日本廻国供養塔」など7基の石塔と、高さ70cmほどの石造りの地蔵尊像があります。国府橋付近にあったものが道の拡張に伴って移転したといわれています。


旧中郷橋の橋供養塔

現在、中郷橋は上流に付け替えられていますが、旧中郷橋の中郷側の土手の下に、天明元年(1781)に建てられた高さ約100cmの自然石による「新建立他力万人講橋供養」碑があります。


旧中郷橋の地蔵

橋供養塔からすぐ近くの右側の道ばたに地蔵尊蔵があります。文政5年(1822)に澤屋市左衛門によって建立されています。建立者は立川霊光院門前角に道標を建てた澤屋市左衛門重吉の父親と考えられています。


高岡口の道標地蔵

美歎橋を渡って麻生地区に入る道路の分岐点左側にあり、高さ約100cm幅29cmの南無阿弥陀仏と刻された台座の蓮花の上に合掌した坐像が彫られています。寛政4年(1792)に元大工町の米屋利助によって建立され、向右に「大かい たじま道」向左に「むらみち」と刻されています。大茅谷筋を通り但馬に至る道筋と高岡方面への道筋を示したものだと思われます。


谷の道標

谷の旧道と新道の分岐点の手前、糸谷との分岐点に「右糸谷」とだけ刻まれた高さ約45cmの小さな自然石の道標があります。これは上流から下ってきて右に進むと糸谷になることを示しています。


谷入口の六地蔵

「村中 世話人 河上平一郎 山下久次郎 福田源次郎 明治十五年八月吉日」と刻まれています。ここから100mほど進むと峰の観音の参道にでます。


谷の旧道の常夜燈

峰の観音の参道に向かって右側の雨滝街道に面し、文久元年(1861)建立の常夜燈があります。


清水橋右岸の地蔵

清水橋手前の山際に、元は文政5年(1822)女講中によって建てられ、嘉永6年(1863)に再建された高さ約120cmの地蔵尊があります。


清水の大峰山信仰の碑を兼ねた道標

橋安全地蔵の先、清水川に架かる小橋を渡ると高さ約210cmの大きな道標を兼ねた石碑があります。文久2年(1862)に清水吉左エ門が33回の大峰山信仰を記念して建立し、右側面には「是より都ヘ五十五里 伊勢内宮ヘ九十一里 大峯ヘ八十一里」と刻されています。


清水の橋安全地蔵

清水橋の左岸橋詰に橋地蔵と呼ばれる地蔵が祀られています。昔は洪水のたびに橋が流されたため、橋の安全を祈願して建てられたと考えられ、嘉永6年(1853)に清水村の吉左衛門が中心となって鳥取の石工吉三郎に造らせたことが台座に記されています。なお、清水橋の手前には鳥取城下から二里の一里塚がありました。