恵心僧都が蜘山に立ち寄られた時、法華経を一石に一字宛書いて経塚を造り、封土の上に2、30mにも及ぶような大きな石碑を建てました。風雪に晒されて現在見られる姿になりましたが、頂上付近の立岩がそれです。ここに大権現が祭られ、航海安全だけでなく脳の病気にもよく効くといわれました。尾根の中央から北方に突き出している峰は「慈雲山」と呼ばれ、この頂上に「七人籠」と呼ばれる籠り堂がありました。大杙村落では昔から村に重病人が出ると必ず七人交代で籠り堂に集まり、前庭に篝火を焚いて隠岐島の燃火神社に向かって平癒を祈願する習わしがありました。ここから尾根伝いの逆を南の方へおよそ5、60m進むと林の中に中型の円墳があり、「雲塚」や「雲山塚」と呼ばれています。 |