因幡・国府のうつろう流れ 殿ダム・袋川流域風土記

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流域の三峠物語


@十王峠(じゅうおうとうげ)

雨滝集落から十五町ほど登った所にある十王峠は、雨滝街道(法美往来)の国府町と岩美町の堺にあたり、昔から但馬を通って京都に至る山陰道として、国府から国主を初め諸役人の往来や貢物の運搬などの重要な役割を果たしてきました。戦国時代の末、豊臣秀吉が牛が峯や七曲城を攻めた時に、十王峠を登ったとも言われています。旧藩時代も但馬や岩井郡に行く通行の要路であったので、幕末には雨滝部落の峠道に番所を置いて通行人を取り締った事もありました。十王とは、死者が冥途に行く時、この世でおかした罪を裁ばく閻魔大王など十人の王の事で、この王たちに裁かれて来世では善人になって生れてくるといわれています。山岳修験にゆかりの地でもあることから、あの世の入口と信じて名付けたられたということです。又峠にある地蔵堂より名付けられたとも言われています。


A門尾三本松峠(かどおのさんぼんまつとうげ)

雨滝集落から十五町ほど登った所にある十王峠は、雨滝街道(法美往来)の国府町と岩美町の堺にあたり、昔から但馬を通って京都に至る山陰道として、国府から国主を初め諸役人の往来や貢物の運搬などの重要な役割を果たしてきました。戦国時代の末、豊臣秀吉が牛が峯や七曲城を攻めた時に、十王峠を登ったとも言われています。旧藩時代も但馬や岩井郡に行く通行の要路であったので、幕末には雨滝部落の峠道に番所を置いて通行人を取り締った事もありました。十王とは、死者が冥途に行く時、この世でおかした罪を裁ばく閻魔大王など十人の王の事で、この王たちに裁かれて来世では善人になって生れてくるといわれています。山岳修験にゆかりの地でもあることから、あの世の入口と信じて名付けたられたということです。又峠にある地蔵堂より名付けられたとも言われています。


B鶏冠尾の峠(とさかのおのとうげ)

下木原から岩美町へ通じている道で、この峠の下には茅ん堂と呼ばれる小さなお堂があります。茅ん堂のお地蔵様は岩美町外邑(とのむら)のお地蔵様と仲良しで、ある日外邑が火事に見舞われた時には、峠を越えて外邑の地蔵を助けに行き、消化につとめたという民話が残っています。