雨滝集落から十五町ほど登った所にある十王峠は、雨滝街道(法美往来)の国府町と岩美町の堺にあたり、昔から但馬を通って京都に至る山陰道として、国府から国主を初め諸役人の往来や貢物の運搬などの重要な役割を果たしてきました。戦国時代の末、豊臣秀吉が牛が峯や七曲城を攻めた時に、十王峠を登ったとも言われています。旧藩時代も但馬や岩井郡に行く通行の要路であったので、幕末には雨滝部落の峠道に番所を置いて通行人を取り締った事もありました。十王とは、死者が冥途に行く時、この世でおかした罪を裁ばく閻魔大王など十人の王の事で、この王たちに裁かれて来世では善人になって生れてくるといわれています。山岳修験にゆかりの地でもあることから、あの世の入口と信じて名付けたられたということです。又峠にある地蔵堂より名付けられたとも言われています。 |