中河原に源門寺という寺の名前は残っていますが、詳しいことは分かっていません。現在、源門寺の心礎といわれる遺構は、元の位置より80mほど下流にある妙見堂の前に移動されていますが、旧位置は、袋川上流右岸に当たる中河原字源門寺谷口になります。山が川にせまり大きな平地は見られない土地であり、心礎の旧位置も山ぎわに幅30mほど小平地が見られるのみで、七堂伽藍の可能性はなく、塔を重要施設とした特異な仏教施設だったのではないかと考えられています。
心礎規模は、長径1.7mほどの自然石に径47cm、探さ15cmの柱孔が穿たれ、径73cmほどの円形柱座が浮刻されていて舎利孔はありません。また、旧場所で一個の須恵器が収集されています。平底を思わせる長頸壷(瓶)であり、形状から平安初頭のものと推定される唯一の資料となっています。 |