因幡・国府のうつろう流れ 殿ダム・袋川流域風土記

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伊福部氏と宇倍神社 


@伊福部氏と金属伝承

伊福部氏は、古代因幡国法美郡を中心とした地域の有力な豪族であり、しばしば因幡国造に任ぜられたとの伝承をもつ家柄です。伊福吉部、五百木部とも書かれ、「いふくべ・いふきべ・いほきべ」などと読まれています。その職務や名の由来として、笛を吹く部、景行天皇の皇子五百木之入日子命の御名代、天皇の御前の煮炊きをする職などいくつかの説があり、“気を変化させる力”を持ち「気をつむじ風に変化させるが故に気吹部の性を賜った」として『伊福部氏系図』では第20代の若子臣を気吹部臣(伊福部臣)氏の始めと位置づけています。また、伊福部氏の分布が鉱山地帯に多く、初期の製鉄法であるたたら製鉄は製鉄反応に空気を送り込んでつくられるため、風を司る伊福部氏は鉄鋼の精錬に従事していた氏族ともいわれています。そして宇倍神社の神職は、古来より明治の初めまで伊福部家が務めていました。


A宇倍神社

宇倍神社宇倍神社


宇倍神社の亀紋宇倍神社の亀紋

宇倍神社は孝徳天皇の御代、大化4年(648)の創建と伝えられています。360歳あまり生きたと伝えられる武内宿禰命を祭神とし、『延喜式』には県下唯一の名神大社と記され、また因幡の国一ノ宮の称号を得る格式高い神社です。明治32年には全国の神社で初めて武内宿彌の像と宇倍神社が五円紙幣に載せられました。その後も五円紙幣や一円紙幣の図柄となったことから、長生きの神様、お金にご縁のある神社として人気の高い神社です。

宇倍神社の亀
宇倍神社の家紋は亀崩といわれるもので、神仙思想と長寿延命のたとえにより、あるいは祭神武内宿禰終焉の地である亀金山にちなみ、苔のはえた長寿の蓑亀が紋となっています。江戸時代には、旗本のうち八家がこれを家紋としていたようです。亀紋は毛の有無によって区別され、総毛のみの亀、亀の文字を図案化した亀の字崩紋が知られています。


B武内宿禰

紀によれば孝元天皇の曾孫にあたり、第12代景行天皇より成務・仲哀・応神・仁徳の5朝に仕え、蝦夷地の視察、新羅との戦い、忍熊皇子らの討伐などに活躍したと伝えられる、大和朝廷初期の伝説上の人物です。成務帝の時に、政務を補佐する「大臣」に初めて任命され、また、真偽を問う盟神探湯を成功させた人でもあります。蘇我・葛城・巨勢・平群などの諸氏の祖先ともいわれています。


C宇倍神社の麒麟獅子舞

毎年4月21日の例祭には、池田光仲公により創始されたといわれる県指定の無形文化財「麒麟獅子舞」が神前に奉納されます。獅子頭は因幡地方特有の一本角で、猩猩が先導する中、笛、鉦、太鼓の単調な調べに合わせて朱色の布を纏った獅子が厳粛に舞い踊ります。
宇倍神社御幸祭祭具は、例大祭にあたり、御神事並びに祭礼行事として伝承されている大名行列に使用されるもので、御神輿の他23点あります。境内に建設された収蔵庫(徽古館)に保管されています。明治年間、調製された大神輿をはじめ、県指定文化財の獅子舞に使用される江戸時代彫刻の獅子頭・猩猩・楽器あるいは樗谿神社から譲り受けた祭具・武具も多数あり、また正徳4年(1714)寄進の銘ある旧池田藩主・藩士による鉾、平鉾、大鳥毛、長槍等も合わせて保管されています。。