無量光寺裏山の岩常山の中腹に、伊福吉部徳足比売の墓跡があります。徳足比売は豪族・伊福吉部氏の娘で、が宮中に貢進して文武天皇に使えていた采女(女官)であったと考えられています。
直径約26cmの鉢形をした青銅製の骨壺の上面には、放射状に16行、108文字が刻まれ、埋葬の由来を書き表しています。それによると、徳足比売は先帝文武天皇の御代、慶雲4年(707)2月25日に従七位下の位を賜り、和銅元年(708)7月に大和の地で亡くなって、同3年の10月に火葬されて翌月13日に故郷の因幡の国に送られ、この地に葬られたということです。
これは我が国で行われた火葬法の歴史を知る上で貴重な遺構として、墓跡は大正13年12月9日に史跡として、骨蔵器は昭和30年2月2日に重要文化財として国の指定を受けました。
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