上荒舟地区の舗装道路をあがり、字「宮の後」の杉木立の中に鋲座しています。切り石の石段を上ると参道も切石畳の200坪程度の境内ですが、この中に鳥居・献燈・本殿・神楽殿が巧みに配置されています。特に本殿の奥に位置する2m2ほどの厨子は他の神社では見ることのできないものであり、また拝殿には俳句の額が掛かっています。祭神は須佐之男命と稲田姫命ですが、古くから子守権現とも赤松大明神とも称されていたことから、正徳年中(1711~16)に3代藩主吉泰公が男子がないことを憂い、この社に祈願したところ霊験著しく宗泰公の誕生をみたとして、藩では米三石を永久に寄進することになったといわれています。明治7年に上荒舟神社と改称されましたが、鳥居にはもとの両神社の額が掛けられています。
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