文録2年(1593)癸巳8月に洪水がありました。7月末から太陽を雲霧が覆って雨が止む間なく降り、8月の中頃からは豪雨が続き、水が漲り湧く音は幾多の雷のように聞こえるほどで、波は逆巻いて天に突き上げていました。人々は慌てふためいて大騒ぎとなり、家の屋根に登ったり、山の上へ逃げようとしましたが、道がなく溺死した人や牛馬も多く、路頭に倒れた死体で道が塞がるほどだったといわれています。
この年、太閤豊臣秀吉は朝鮮征討を行い、国中の壮年や若者は徴募に応じて皆朝鮮へ向い征討に従事していたので、国に残っているのは老人や女性、子供ばかりだったために被害が特に大きく、また、洪水時や復興の作業もはかどらなかったものと思われます。そのような年に起きた洪水なので、地元の人達はこの洪水のことを「高麗水」と呼ぶようになりました。
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