明治29年頃、当時の若者たちの間で退廃的な風潮が高まっていたのを心配した鳥取市高岡の山本徳次郎は、賭博に代わる娯楽はないものかと思案し、その10年後、菅笠を使った踊りを長柄の傘に換え、振りに剣舞の型を取り入れて現在の勇壮闊達な踊りを考案しました。揃い単衣に手甲脚絆と白鉢巻、白たすき姿で、100個もの小鈴をつけて赤、白、青、金、銀と美しく彩られた長柄の傘を唄に合わせてリズムよく振り回すこの踊りは、この地区の青年たちに受け継がれ「因幡の傘踊り」といわれるまでになりました。また、この地区だけでなく因幡地方が誇る郷土芸能として伝承され、昭和49年には鳥取県の無形民俗文化財として指定を受け、今では世界でも高い評価を得る全国有数の伝統芸能となっています。 |