袋川上流の上地川は落差の大きい激流で、早くから水力発電の適地として着目され、岡益の木村安蔵はここに発電所を設けることにしました。明治40年の春、上地橋下流から上地川の水を取り入れ、上荒舟まで1450mの導水路によって72.7mの有効落差を得た水力により、出力100kwの発電所として完成しました。
境・鳥取間の山陰線開通を祝って5月17日に皇太子(後の大正天皇)が山陰行啓されたのを記念し、上荒舟で起こされた電気によって、宿泊所の仁風閣をはじめ市内86戸に初めて点灯されました。明治44年になると八頭と千代川上流の八頭奥地に大型発電所が建設されましたが、明治の黎明期に上荒舟発電所が果たした役割は大きいものでした。
その後、改修工事によって導水路延長1546m、出力は240 kwと大幅に上げられ、開設以来100年の歳月を経て今なお発電を続けながら、地域の文化と産業の発展に貢献しています。 |