因幡・国府のうつろう流れ 殿ダム・袋川流域風土記

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袋川流域の祈り 「神社」 3


[土地や農業、生活にまつわる神を祭神とする神社]

折井神社

延喜式内社であり、大同年間(806~810)に京都の葛野にある松尾大社の分霊を勧請したと伝えられ、古くは松尾大明神といいました。当初山の上にあったのを近世になって下に移し、地名をとって名付けられました。手見山とは現社地の後背にある477mの山のことですが、ただし古宮の位置や現地への遷座の時期はわかっていません。大正3年に中河原神社、同6年に吉野神社を合祀して松尾・吉野・中河三ヵ集落の氏神となりました。なお、京都の松尾大社が全国の酒の神の本社であることから、因幡・但馬の酒造家から尊崇を集め、現在も12月上旬仕込みの時期には因幡の全酒造場を巡り浄めているということです。


荒舟神社

祭神は「うけもちの神」といい、伊勢神宮の外宮の祭神と同じ農業神です。古くは妙見大明神と呼ばれていました。国府町内で保食神を祭る唯一の社であり、この地区の耕地が比較的少なく、農産物に乏しいところから、この神を祭り豊饒な土地柄にかえようという悲願に基づくものと考えられています。


森谷神社

上上地地区に入って100mほどのわずかばかりの平地の上にあり、切妻造りの妻入で正面一間半(3m弱)ばかりの小さな神社です。社域が小字名森谷であるため「森谷さん」と呼ばれてきました。明治5年の神社令により廃社されて酒賀神社に合祀されましたが、地域住民の懇望によって新社殿が旧社地に造営されました。昭和13年の大火で一時酒賀神社に再祀されましたが、再興されて今もこの地に鎮座しています。


雨滝神社

ブナの原始林に囲まれたやや高いところに神殿があり、古くは「妙見宮」と呼ばれていました。祭神の月読神は天照大神の弟神であり、夜を治める神で百姓の神です。厨子が朴の木で造られているため、雨滝地区では昔から朴歯の下駄を履かなかったといわれています。社殿の下方にある観音堂の厨子の中には端麗な観音像が祭られ、因幡西国三十三ヶ所観音霊場の札所でした。


稲葉神社

立川大橋の東、天神川の左岸に古くから稲葉大明神と呼ばれた稲葉神社があります。稲葉山の峰を観望できる位置にあり、因幡天ともいわれ、稲荷神にして五穀の守護神である倉稲魂神を祭神としています。『因幡誌』には武内宿禰が三韓遠征の幡をこの地に祀り、その由緒によって国名の稲葉の字を因幡に改めたとあり、また『岩美郡史』では稲葉大明神が田地に初めて稲苗を植えた由来により、この古苗代と呼ばれるようになった場所が稲葉の国名の起きた由緒の地だとも伝え、この神社は因幡の国名の由来と由緒を物語っています。

[水にまつわる神を祭神とする神社]

拾石神社

農協の発電所の右手の、巨岩の問の小さな両の中に鏡座し、古くは滝神と呼ばれていました。祭神を罔象女命として水の守護神を祭ったのは、この神社が拾石集落を水難から救った大きな機縁があったためと考えられています。平成14年6月、酒賀神社に合祀されました。


大石神社

杉の木立の中にある祠の後ろに高さ2.5m、周囲26mの大石があり、この巨石の下から清水が湧き、境内に流れ出ています。祭神の御井神(みいのかみ)は、大国主神と八上比売の間に生まれた開拓神です。昔は自然崇拝の習慣があり巨大な石や泉の源流などを神聖視したことからこの地に神社を創建したものと思われ、この縁由によって大字名が大石となったといわれています。

[応神天皇をまつる神社]

上地神社

上上地地区の中ほどから急な坂道を100mほど登った杉木立の中にあり、海抜500mほどの高地にある神社です。祭神の応神天皇は仲哀天皇と神宮皇后の皇子で、武内宿禰の養育をうけて成長した天皇といわれています。
大きな狛犬が配置された境内は広く、神殿は流造で、拝殿は8m四方の建物になっています。昭和13年春の大火災でこの山上の神社も焼けてしまいましたが、再び立派な社殿や神域をみることができます。

[天神様をまつる神社]

山崎神社

上地川の左岸、天神に鎮座し、菅原道真公を祭る神社です。古くから天神と称えていましたが明治7年に山崎神社と改称されました。国府町内で菅原道真公を祭る神社は、栃本の栃本神社と、法花寺の今木神社の三社のみでしたが、今木神社は多居乃上神社に合祀されています。