延喜式内社であり、大同年間(806~810)に京都の葛野にある松尾大社の分霊を勧請したと伝えられ、古くは松尾大明神といいました。当初山の上にあったのを近世になって下に移し、地名をとって名付けられました。手見山とは現社地の後背にある477mの山のことですが、ただし古宮の位置や現地への遷座の時期はわかっていません。大正3年に中河原神社、同6年に吉野神社を合祀して松尾・吉野・中河三ヵ集落の氏神となりました。なお、京都の松尾大社が全国の酒の神の本社であることから、因幡・但馬の酒造家から尊崇を集め、現在も12月上旬仕込みの時期には因幡の全酒造場を巡り浄めているということです。 |