因幡・国府のうつろう流れ 殿ダム・袋川流域風土記

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国府の三堂 


@茅ん堂

下木原の北を流れる袋川を渡り、岩美町に通じる鶏冠尾峠の坂の下にある小さなお堂を「茅ん堂」と呼び、地蔵様がご本尊として祭られています。古くから耳の病にあらたかなご利益があるといわれ、因幡一円はもとより遠く但馬からの参拝者も多かったといわれています。堂内に紐でかけ渡されている大小300個ばかりの穴のあいた石は、耳の悪かった人が願いの叶った時に持ち寄ったものです。


A土ん堂(学行院)

学行院
学行院

慶長6年(1601)鳥取城主・池田長吉は、吉野にある正覚院という草庵が希代の霊仏であることを知り、これに寺領五石を下賜しました。それまで秘かにこの霊仏を祭っていた覚行という修験者はこれに感激して同じ吉野の富農である紹慶とはかり、小堂を建てて薬師如来とその他を安置しました。これが「土ん堂」と呼ばれる学行院の前身です。その後、覚行の孫にあたる覚蔵坊が寛文8年(1668)に寺を再建しました。


B岡益の石堂

岡益の石堂
岡益の石堂

凝灰石の切石を利用した石造構築物で、6m四方の羽目石を並べた基壇の上に、高さ約2m、厚さ約0.4m前後の壁石で囲った石室が造られ、その中央にエンタシス形式の高さ1.7mの円柱が立てられています。地元では古くからいくつかの言い伝えがあり、一説には、安徳天皇の御陵墓と伝えられ、明治29年に安徳天皇御陵墓参考地として指定を受けました。石堂の背後にあるおびただしい数の五輪石堂は、天皇につき従った平氏一門の墓とも伝えられています。また一説には、武内宿禰の御廟といわれ、他にも岡益廃寺の塔跡などが考察されています。